創刊号(一九八三年) |
発刊の辞 |
笹淵友一 |
1 |
「……を待ちながら」の構造と本質―パス カルの『パンセ』とベケットの『ゴドーを待ちながら』をめぐって |
田辺保 |
3 |
詩を生む詩―詩篇第百三十九篇をめぐって |
清水氾 |
17 |
椎名麟三論―「運河」をめぐって |
寺園司 |
31 |
椎名麟三「美しい女」の木村の源流―ムイ シキンとドン・キホーテの流れを中心に |
斎藤末弘 |
43 |
正宗白鳥とキリスト教―受洗前の体験に即 して |
勝呂奏 |
51 |
〈シンポジウム〉漱石における神
|
佐藤泰正・遠藤祐・中野記
偉・高木文雄 |
63 |
第二号(一九八四年) |
〈論文〉 |
漱石と神 |
笹淵友一 |
1 |
芥川龍之介「鼻」私見 |
重松泰雄 |
14 |
武田泰淳・戦後出発時の位相
―「審判」論 |
石丸晶子 |
25 |
セイタン登場 |
斎藤和明 |
40 |
〈研究ノート〉有島武郎の
逝った日 |
内田満 |
53 |
〈特集〉詩的想像力と信仰 |
精神史的序論 |
高柳俊一 |
61 |
S・T・コールリッジの場合 |
和泉敬子 |
70 |
ホプキンズの場合 |
島根国士 |
78 |
T・S・エリオットの場合 |
安徳軍一 |
86 |
〈書評〉 |
寺園司著『近代文学者の宗教
意識』 |
神田重幸 |
94 |
島根国士著『G・M・ホプキ
ンズの詩』― 音と意味の融合点 |
田村一男 |
96 |
〈紹介〉 |
『キリスト教文芸』(関西支
部発行) |
西谷博之 |
99 |
『キリスト教文学』(九州支
部発行)笹淵友一編『物語と小説―平安朝から近代まで』 |
宮坂覺 |
101 |
第
三号(一九八五年) |
太宰治と塚本虎二―太宰治とキリスト教への一視点 |
田中良彦 |
1 |
アルベエル・カミュのイエス観―『転落』を中心に |
久保田暁一 |
13 |
「失楽園」の主題と出エジプト記 |
小野功生 |
22 |
「西風に寄せる歌」試論―ロマン派抒情詩再読 |
中野記偉 |
35 |
ギャスケル夫人の『シャーロット・ブロンテの生涯』―苦難
の中にある神の恵み |
梅木千雪 |
50 |
《特
集》シンポジウム |
漱石文学とキリスト教― 『道草』を中心に |
笹淵友一・佐藤泰正・清水孝
純・清水氾 |
62 |
《特
集》講演 |
神を描く―ミルトンの場合 |
斎藤和明 |
96 |
《書
評》 |
『ベルナノス著作集第五巻―抑圧と抵抗レジスタンス論集』 |
大谷恒彦 |
121 |
第
四号(一九八六年) |
文学とキリスト教―一つの視座 |
山形和美 |
1 |
『エヴリマン』とその伝統 |
島根国士 |
13 |
「ハムレット」における宗教性―劇構造とキリスト教の関り |
下館和己 |
26 |
道化サムソン― 『サムソン・アゴニスティーズ』試論 |
小野功生 |
40 |
ホーソーンのキリスト教観をめぐって―懐疑から信仰へ |
斎藤幸子 |
50 |
啄木と聖書教育―一戸完七郎「綴方帳」をめぐって |
上田哲 |
62 |
「袈裟と盛遠」―ふたつの独白をめぐって |
遠藤祐 |
73 |
《特
集》一九八六年度全国大会講演 |
《特
集》一九八五年度全国大会シンポジウム |
愛か、憎しみか―自然と信仰 |
斎藤和明 |
86 |
自然と信仰―キリスト教文学の背景として |
高柳俊一 |
93 |
自然と信仰 |
笹淵友一 |
102 |
自然と信仰―漱石を軸として |
佐藤泰正 |
108 |
《書
評》 |
W・A・M・ピーターズ著『ジェラード・マンリー・ホプキ
ンズ―賛辞―』 |
平田トミ子 |
116 |
伊東一夫編『近代思想・文学の伝統と変革』 |
水本精一郎 |
119 |
第
五号(一九八八年) |
夏目漱石「明暗」私論 |
笹淵友一 |
1 |
『こゝろ』の福音書的構造 |
中野新治 |
17 |
『蓬莱曲』の思想構造(上) |
西谷博之 |
28 |
『嵐が丘』における悪 |
斎藤和明 |
34 |
[特
集] 日本におけるキリスト教文学の可能性 |
自分の文学的状況 |
阪田寛夫 |
52 |
日本におけるキリスト教文学の可能性 |
田辺保 |
58 |
『永遠なる序章』論―キリスト教文学の可能性として読む |
山形和美 |
68 |
『自由の彼方で』―〈僕〉をめぐって |
遠藤祐 |
80 |
[思潮]聖書の言語と文学批評 |
山形和美 |
87 |
[書評]笠井秋生『遠藤周作論』 |
石丸晶子 |
89 |
第
六号(一九八九年) |
『明暗』私感 |
高木文雄 |
1 |
太宰治におけるキリストの位置(二) |
田中良彦 |
9 |
遠藤周作とG・グリーン―『沈黙』におけるグリーンの影響 |
島根国士 |
19 |
[特
集]一九八八年度全国大会 |
講演 |
現代日本文学とキリスト教―太宰『桜桃』・椎名『自由の彼
方で』・小川『或る聖書』など |
遠藤祐 |
37 |
シンポ
ジウム |
宗教と文学―その〈二律相関〉ということ―司会発題の弁と
して |
佐藤泰正 |
54 |
椎名麟三『美しい女』 |
斎藤末弘 |
58 |
椎名麟三『美しい女』の文体につい |
高堂要 |
62 |
『沈黙』のなかのもうひとつの挿し絵 |
宮野光男 |
66 |
『沈黙』―〈父の宗教のキリスト〉から〈母の宗教のキリス
ト〉への転換 |
笠井秋生 |
69 |
『或る聖書』の構造 |
山形和美 |
72 |
『或る聖書』の視界 |
斎藤和明 |
76 |
[書
評] |
川合道雄著『綱島梁川とその周辺』 |
宮坂覺 |
81 |
高堂要著『椎名麟三論 その作品にみる』 |
遠藤祐 |
85 |
斎藤末弘著『作品論 椎名麟三』 |
神田重幸 |
91 |
高柳俊一著『T・S・エリオットの比較文学的研究』 |
氏家理恵 |
96 |
第
七号(一九九〇年) |
『蓬莱曲』の思想構造(中) |
西谷博之 |
1 |
不惑の白鳥―大正期の一面 |
勝呂奏 |
13 |
『失楽園』再考―サタンとの比較に見る、人間の失楽園 |
本多峰子 |
23 |
現代日本のキリスト教文学―比較文学的研究のこころみ |
森本真一 |
34 |
人間の事業としての小説―大江健三郎の『人生の親戚』とフ
ラナリー・オコナー |
橋爪由美子 |
45 |
[特
集]ダンテにむけて |
ダンテ『神曲』地獄篇を読む |
高柳俊一 |
53 |
ダンテ『神曲』地獄篇を読む |
田辺保 |
56 |
ダンテ『神曲』地獄篇を読む―「行人」「迷路」「歯車」を
視点として |
植栗彌 |
59 |
怪獣ジェリオーネ―地獄篇の特徴 |
斎藤和明 |
62 |
[書
評] |
佐古純一郎著『夏目漱石の文学』 |
佐藤泰正 |
72 |
笹淵友一著『小説家島崎藤村』 |
水本精一郎 |
77 |
植栗彌著『有島武郎研究―「或る女」まで― 』 |
宮野光男 |
82 |
第
八号(一九九一年) |
聖書の〈文学〉批評 |
小野功生 |
1 |
アン・ハッチンスンをめぐって―歴史と文学の観点から |
鈴木元子 |
13 |
八木重吉―詩と信仰の軌跡 |
武田秀美 |
23 |
現代日本文学と罪意識―太宰治の場合 |
大塚野百合 |
33 |
Christ in Flannery
O’Connor’s "The Displaced Person" |
Fusako
Krammel |
64[1] |
[書
評] |
川合道雄著『武士のなったキリスト者押川方義 管見』(明
治編) |
影山恒男 |
41 |
The Poetical Works of
Gerard Manley Hopkins, ed. by Norman H. MacKenzie |
Kunio Shimane |
48[17] |
第
九・一〇号(一九九二・九三年) |
透谷と「表現」 |
橋浦兵一 |
1 |
キリスト教とロマン主義 |
高柳俊一 |
13 |
G・G・バイロン卿―『マンフレッド』から『カイン』へ |
和泉敬子 |
27 |
シェリー詩における預言 |
中野記偉 |
39 |
キーツとキリスト教 |
島根国士 |
49 |
近代日本文学におけるキリスト教とロマン主義 |
佐藤泰正 |
61 |
イギリスロマン派文学とオリエンタリズム |
田久保浩 |
69 |
ジェイムズ・ジョイスの世界認識 |
鹿又正義 |
87 |
ホーフマンスタールの『イェーダーマン』 |
戸口日出夫 |
99 |
彼岸過迄』の意義 |
佐藤裕子 |
111 |
芥川「鼻」ノート |
奥野政元 |
119 |
[書
評] |
永岡薫・今関恒夫編『イギリス革命におけるミルトンとバニ
ヤン』 |
小野功生 |
135 |
山形和美著『開かれた言葉―文学空間の亀裂』 |
高柳俊一 |
141 |
江頭太助著『有島武郎の研究』 |
遠藤祐 |
147 |
斎藤末弘著『評伝椎名麟三』/宮野光男著『椎名麟三―〈判
らないもの〉を求めて―』 |
高堂要 |
153 |