第三一号(二〇一四年)
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[特集]宗教と文学の対話(ダイアローグ) |
講演
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三浦綾子「塩狩峠」論―犠牲について
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奥野政元
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1
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シンポジウム
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宗教と文学と対話―『キリスト最後のこころみ』
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田久保浩 |
16
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聖書と文学と対話―新約聖書学の視点から
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嶺重淑 |
27
|
グレアム・グリーン、逆説の表象
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阿部曜子 |
39
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ヴィクトリア朝期イギリスの宗教と文学―ディケンズ文学におけるキリスト教
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永岡規伊子 |
52
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[論文] |
グレアム・グリーン文学における飲酒の表象
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山村結花 |
63
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カミュとドエトエフスキー―『異邦人』と『白痴』死刑囚意識をめぐって |
山本和道 |
78
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「神のいらない時代のバイブル・ストーリーズ」に見る無神論的キリスト教作品の意味 |
岡田理香 |
91 |
[書評]
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小嶋洋輔著『遠藤周作論――「救い」の位置』 |
兼子盾夫 |
106 |
細川正義著『島崎藤村文芸研究』 |
小林明子 |
109 |
足立直子著『芥川龍之介 異文化との遭遇』 |
安藤公美 |
111 |
竹野一雄著『C・S・ルイスの贈り物』 |
浅田千枝子 |
113 |
田中俊廣著『ことばの遠近法――文学/時代/風土』 |
柴崎聰 |
116 |
清水孝純著『『白痴』を読む―ドエトエフスキーとニヒリズム』 |
芦川進一 |
119 |
谷悦子著『まど・みちお 懐かしく不思議な世界』 |
尾崎るみ |
121 |
[特別寄稿] C・S・ルイス記念式典に参加して |
大内ララ |
123 |
第三二号(二〇一五年)
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[特集]平和・キリスト教・文学 |
シンポジウム
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現代アメリカ・オペラ『ドクター・アトミック』のトリニティ
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松岡直美
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1 |
井上ひさし『父と暮らせば』とパルバースによる英訳(The Face of Jizo)をめぐって
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藤井仁奈
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10
|
詩人の見た戦争と原爆
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柴崎聰
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24
|
[論文]
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J・R・R・トルーキン―準創造世界のユーカタストロフ
|
小林眞知子
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35
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『詩篇を考える』におけるC・S・ルイスの聖書観 |
高橋清隆 |
50 |
若き日の矢内原忠雄―内村鑑三・倉田百三をめぐって
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関口安義
|
60
|
田山花袋『蒲団』における「基督教信者」表象
|
山本歩
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75
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『死海のほとり』、救いの物語―隠れてある神に出会う信仰の旅
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古橋昌尚
|
88
|
「フランスにおける異国の大学生たち」論―「原罪」の「凝視」
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北田雄一
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110
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原民喜と聖書―姉のつないだ天
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竹原陽子
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119
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初期横光文学における〈生の不安〉について―第一創作集『御身』を中心に
|
鐘俊梅
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129
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[書評]
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賀川豊彦著『復刻版 小説キリスト』
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村山晴穂
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142
|
宮坂覺編『芥川龍之介と切支丹物―多声・交差・越境』
|
堀竜一
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146
|
森下辰衛著『『氷点』解凍』 |
奥野政元
|
149
|
竹林一志著『聖書で読み解く『氷点』『続 氷点』』
|
上出恵子
|
151
|
柴崎聰詩集『火の言葉』
|
勝呂奏
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153
|
ブルース・ジェントリー、クレイグ・アマソン編、田中浩司訳『フラナリ・オコナーとの和やかな日々―オーラル・ヒストリー』
|
野口肇
|
155
|
第三三号(二〇一六年) 創立50周年記念号
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[主題講演] |
「弱い神」の系譜─文学的構想力と神学
|
深井智朗
|
7
|
〔シンポジウム ドストエフスキーと現代─アポカリプス的予言とその行方〕
|
ドストエフスキーと現代─その終末論的予言性を中心に |
清水孝純
|
14 |
「一粒の麥」の死の譬え─『カラマーゾフの兄弟』のユダ的人間論 |
芦川進一
|
27
|
ドストエフスキーの現代性─戦後文学における『悪霊』の受容をめぐって |
長濱拓磨
|
40
|
[論文]
|
オスカー・ワイルド文学に潜むキリスト教的描写
|
宮本裕司
|
52
|
根底からの回心─R・シュナイダーの『大いなるな断念』 |
神谷裕子 |
63 |
『オハイオのワインズバーグ』に見る聖と俗と性
|
森本真一
|
74
|
聖書と三浦綾子文学
|
竹林一志
|
84
|
「黄金風景」の黄金性
|
大國眞希
|
98
|
芥川龍之介「白」考─死者の声に導かれて
|
宮薗美佳
|
110
|
遠藤周作 原稿用紙から見る作家活動の一端
|
藤田尚子
|
123
|
遠藤周作 「月光のドミナ」論 |
神谷光信
|
135
|
[書評]
|
森本真一著『天駆ける詩魂─フォークナー小論』
|
加藤眞吾 |
146
|
野口肇著『見えるものから見えざる物へ―フラオナリー・オコナーの小説世界』
|
亀田政則
|
148
|
関口安義著『続 賢治童話を読む』 |
尾崎るみ
|
150
|
今井真理著『それでも神はいる 遠藤周作と悪』
|
兼子盾夫
|
152
|
大國眞希著『太宰治 調律された文学』
|
影山恒男
|
154
|
日本キリスト教文学会50年史
|
1 学会沿革 *「1」は本来はローマ数字、以下同
|
1
|
2 学会例会・大会記録
|
6
|
3 笹渕友一記念日本キリスト教文学会受賞記録
|
43
|
4 支部活動の記録(北海道支部 東北支部 中部支部 関西支部 中国支部 九州支部) |
45 |
第三四号(二〇一七年) |
〔主題講演〕 |
聖書における「笑い」
|
嶺重淑 |
1
|
〔シンポジウム キリスト教と〈笑い〉〕 |
太宰治の小説と〈笑い〉─『トカトントン』を中心に
|
斎藤理生
|
17
|
「滑稽」と「ユーモア」─椎名麟三『自由の彼方で』を中心に
|
立尾真士
|
28
|
遠藤周作『おバカさん』におけるユーモア─日常生活からの飛翔としての〈笑い〉
|
古浦修子
|
42
|
〔論文〕 |
『喜びの訪れ』と『ナルニア国物語』
|
安藤聡
|
54
|
ナルニアに響く二つの歌声
|
大沼郁子
|
67
|
医療教育におけるグレアム・グリーン文学の効果的応用
|
柳谷千枝子
|
81
|
遅れてきた者たちのカノン─イーヴリン・ウォー『ヘレナ』考
|
有為楠香
|
91
|
絵本化されたバベルの塔の物語が語るもの─『ばべるの と う』と『もぅぅん・ばべるのとう』の分析を通して |
山口恵子
|
106
|
「じゅりあの・吉助」論─いかに、何を信じたか
|
嶌田明子
|
121
|
キリシタン史料から考察する「神神の微笑」と『沈黙』─〈オルイガンティノ〉と〈フェレイラ〉を通して
|
香川雅子
|
136
|
宮沢賢治の〈信仰と教育〉および「大宗教」に関する思想─宮沢トシが学んだ成瀬仁蔵の思想から
|
山根知子
|
150
|
A Nigerian Prodigal Son’s‘Moment of Grance'
|
William F.Pursell
|
181
|
〔研究ノート〕
|
遠藤周作研究の新方向─クリストファー・L・ヒル論文を巡って
|
神谷光信
|
182
|
〔書評〕
|
ジョン・グリーンリーフ・ホイッティア著、根本泉訳『雪に閉ざされて─冬の田園詩』
|
安藤聡
|
186
|
芦川進一著『カラマーゾフの兄弟論─砕かれし魂の記録』
|
清水孝純 |
188
|
川原有加著『『指輪物語』と『ナルニア国年代記物語』における色彩表現』
|
竹野一雄
|
191
|
江島泰子著『「神の国」19世紀フランスにおける司祭像』
|
金子楯夫
|
194
|
鈴木ふさ子著『三島由紀夫 悪の華へ』
|
宮坂覺
|
196
|
川島秀一著『遠藤周作 〈和解〉の物語(増補改訂版)』
|
増田斎
|
198
|
第三五号(二〇一八年) |
〔主題講演〕 |
文学と〈祈りの風景〉─遠藤、賢治、藤村、周五郎に触れて
|
川島秀一 |
1
|
〔シンポジウム 文学と〈祈り〉〕 |
C・S・ルイスのチャールズ・ウィリアムズ論
|
竹野一雄
|
15
|
『ナルニア国物語』における〈祈り〉
|
安藤聡
|
20
|
チャールズ・ウィリアムズ All Hallows' Eve における祈り
|
川原有加
|
31
|
トルキーンと『指輪物語』の作品世界─「憐れみ」をキーワードとして
|
棚瀬江里哉
|
44
|
〔論文〕 |
垂直線上の希求としての文学と〈祈り〉 ─ウィリアム・フォークナーを巡って
|
森本真一
|
55
|
C・S・ルイス『顔を持つまで』における他者─ 栄光の重みを背負うことについて
|
髙田ひかり
|
64
|
放浪の先にあるもの─ ヨーゼフ・ロートの『ヨブ ─ある平凡な男のロマン』
|
神谷裕子
|
79
|
グレアム・グリーン『キホーテ神父』 ─ 物語の結末に描かれたキホーテ神父のミサ
|
山村結花
|
92
|
シェイクスピア悲劇『ハムレット』とリストの交響詩「ハムレット」─ その宗教性
|
郡司郁
|
104
|
聖書物語絵本にみるヤコブとエサウの物語─天の階段が意味するもの
|
山口恵子
|
120
|
遠藤周作『沈黙』における婚姻神秘思想 ─ 「基督の顔」における「置き換え手法」をめぐって
|
山根息吹
|
135
|
遠藤周作「フォンスの井戸」から「青い小さな葡萄」へ─ 〈井戸〉のモチーフの継承と展開
|
余盼盼 |
148
|
宮原晃一郎の童話作品におけるキリスト教の影響─ 『身に咲いた花』の「子どもの死」の分析を通じて
|
王玉
|
163
|
三浦綾子文学と祈り
|
竹林一志
|
175
|
〔書評〕
|
竹野一雄著『キリスト教弁証家C・S・ルイスの遺産』
|
齋藤康代
|
187
|
森本真一著『茶飯事とその彼方─人文科学的雑考』
|
古橋昌尚 |
189
|
山本和道著『宗教性にやどる「文学の力」を求めて─ドストエフスキー、ジッド、サン=テグジュペリ、カミュ』
|
奥野政元
|
191
|
嶺重淑著『クリスマスの原像 福音書の降誕物語を読む』
|
高橋清隆
|
193
|
第三六号(二〇一九年) |
〔主題講演〕 |
宗教改革前夜のサイオン修道院
|
向井剛
|
1
|
〔シンポジウム 巡礼と文学〕 |
人はなぜ「巡礼」に向かうのか、そしてまた人はなぜその物語を語らずにはいられないのか
|
兼子盾夫
|
13
|
遍路と文学─『闇の奥』における旅と物語
|
田久保浩
|
15
|
巡礼し続ける魂―ハンセン病/四国遍路/文学の交差する点
|
佐々木義登
|
26
|
〔論文〕 |
文学による神義論─C・S・ルイスの『私たちが顔をもつまで』を中心に |
本多峰子
|
40
|
C・S・ルイスの「煉獄」 |
岡田理香
|
56
|
『さいごの戦い』に見るC・S・ルイスの救済論─エーメスの救済を巡って |
髙橋清隆
|
70
|
キリスト教文学としての『小さな白馬』
|
安藤聡
|
81
|
「こゝろ」と「氷点」「続 氷点」─夏目文学と三浦文学との重なり・ずれをめぐって
|
竹林一志
|
93
|
〈特異な転向文学〉に現れるユダ─吉本隆明と太宰治「駈込み訴へ」
|
増田斎
|
108
|
キリシタン史料から考察する遠藤周作の細川ガラシャ解釈─「細川ガラシャ」と「日本の聖女」を通して
|
香川雅子
|
121
|
遠藤周作『鉄の首枷 小西行長伝』論─「面従腹背」の生き方に見る宗教性
|
倪楽飛
|
142
|
遠藤周作『深い河』に見る宗教とジェンダーの交錯─美津子の〈真似事〉と〈母〉の問題を中心に
|
余盼盼 |
156
|
〔書評〕 |
本多峰子著『悪と苦難の問題へのイエスの答え─イエスの神義論』
|
阿部仲麻呂
|
170
|
長濱拓摩著『遠藤周作論─「歴史小説」を視座として』
|
奧野政元
|
173
|
中野新治著『宮澤賢治の磁場』
|
服部剛
|
175
|
野谷啓二著『オックスフォード運動と英文学』
|
安藤聡
|
178
|
兼子盾夫著『遠藤周作による象徴と隠喩と否定の道─対比文学の方法』
|
宮坂覺
|
180
|
ジェラルディン・ブルックス著、柴田ひさ子訳『ケイレブ─ハーバードのネイティブ・アメリカン』
|
山村結花
|
182
|
第三七号(二〇二〇年) |
〔主題講演〕 |
海外研究者から見た日本近代文学とキリスト教との関係の問題
|
マッシミリアーノ・トマシ
|
1
|
〔シンポジウム 文化表象とキリスト教〕 |
「見る」物語 グレアム・グリーン『第三の男』
|
阿部曜子
|
15
|
〔特別寄稿〕
|
有島武郎の文学世界とキリスト教
|
石丸晶子
|
30
|
矢内原忠雄の文学的抵抗
|
関口安義
|
47
|
〔論文〕 |
ヴィニー『ダフネ』における「脱宗教性」
|
江島泰子
|
61
|
AdondisにおけるP・B・シェリーのNegative Idealism─新プラトン主義経由の否定神学的理想表現 |
白石治恵
|
74
|
獅子の威を借る「女」─C・S・ルイスの『ライオンと魔女』と『魔術師のおい』における性と悪 |
野田ゆり子
|
86
|
C・S・ルイス『顔を持つまで』における神化の思想 |
高田ひかり
|
98
|
原作童話と翻案童話における死生観の違い─オスカー・ワイルドと有島武郎の作品を中心として
|
宮本裕司
|
112
|
遠藤周作の登場人物の信における認知的パターン─悟りの文学、神探求と自己理解の狭間で
|
古橋昌尚 |
125
|
遠藤周作『沈黙』研究─「顔」のモチーフを中心に
|
倪楽飛
|
152
|
遠藤周作の歴史小説の区分について─キリシタン解釈からの考察
|
香川雅子 |
167
|
三浦哲郎「少年讃歌」論─自己規定の変遷
|
斎藤佳子 |
189
|
〔書評〕 |
金承哲著『遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学』
|
兼子盾夫
|
203
|
関口安義著『評伝 矢内原忠雄』
|
奧野政元
|
206
|
山根道公著『遠藤周作と井上洋治─日本に根づくキリスト教を求めた同志』
|
小嶋洋輔
|
208
|
第三八号(二〇二一年) |
〔論文〕 |
受難の文芸─山本周五郎とキリスト教
|
奥野政元
|
1
|
芥川龍之介「るしへる」論─その原典と〈悪魔〉像の生成をめぐって
|
香川雅子 |
13
|
宮沢賢治「めくらぶだうと虹」における「まことの瞳」─『大乗起信論』と 『マタイ伝・福音書』 |
山根知子
|
28 |
小川国夫の聖書系列作品にみる〈アイデンティティの危機〉と再生
|
櫻井遼太
|
44
|
三浦綾子『天北原野」と「主の祈り」
|
竹林一志
|
59
|
安房直子とキリスト教─「雪窓」を中心に |
大沼郁子
|
72
|
ジェラルディン・ブルックスCaleb’s Crossingにおける「罪」の本質
|
柴田ひさ子
|
88
|
〔書評〕 |
山根知子著『わたしの宮沢賢治─兄と妹と「宇宙意志」』 |
中野新治
|
101
|
勝呂奏著『評伝藤枝静男─或る私小説家の流儀』
|
兼子盾夫
|
104
|
第三九号(二〇二二年) |
|
|
|
第四〇号(二〇二三年) |
|
|
|